四の森学園物語
(4) すぐきてね、だいじなはなしなの
ベッドに転がり、サイドテーブルのランプで文庫本をひらいてると、窓になにかがぶつかる小さな音が聞こえた。しばらく耳を澄ますともう一度、カツン。僕は床にそっと足を下ろして、仕切りのカーテンを開けてみる。
部屋の向こう側のカーテンの奥では、大介が規則正しい寝息をたてている。クラブの朝練があるため、大介の夜ははやい。もっとも消燈後にこっそりと本をひらいてる僕のほうが時間外といえばそうなんだけど、でも消燈後数分で素直に眠りにつく大介みたいなやつのほうが稀少だと思う。
大介に物音で起きる気配はない。僕は同室の友の目を覚まさないように、そっと部屋を横切って窓に近づき、鍵を外して少しひらく。
僕たちの部屋は寄宿舎の二階にある。数メートル先では桜の木々が枝を広げていて、その枝枝の隙間からは少々冷たすぎる風が吹いてきている。秋ももう終わり。いや、静かに深まっていって、冬になる。そんな感じ。
窓から顔を出し、眼下の裏庭に視線を向けると、そこにはぽつんと人影がひとつ。どうやら僕の姿を確認したらしいその人影は、軽く手をふって、それから小さなペンライトの光を五回、明滅させる。
「……まったく」
わざとらしくおおげさに肩をすくめてみせるけど、窓の下の人物がそれに気がついたかどうかはわからない。僕は窓を閉めると、パジャマ代わりのスウェットのうえに厚手のネルシャツを一枚羽織り、そっと部屋を抜け出す。
「ひのきちゃん、やっほー」
お気楽な声は鈴子さん。
消燈後の月明かりのみの裏庭。鈴子さんはパジャマのうえにカーディガンを羽織っただけの姿で目立たないように桜の木の陰に立ち、にこにこと脳天気に笑みながら小さく手をふっている。
「やっほーじゃないよ。こんなところでなにやってんの」
「ふえ? ひのきちゃんを待ってたんだよ」
「それはわかるけど」
そういうことじゃなくてさ。
でも、とりあえず話はあとにして、僕はあいかわらずのおとぼけ鈴子さんを連れて桜並木のほうへ歩く。鈴子さんとはいえ、仮にも女の子。男子舎のすぐ横で立ち話なんかしていて、変な噂をたてられたらかわいそうだ。ぼけぼけっとしている鈴子さんのかわりに、僕がこういうところは気をつけてあげないと。
「それで? こんな時間になに?」
桜並木に出ると、道に沿って置いてあるベンチのひとつにならんで腰かけ、訊く。
「もう。ひのきちゃんはすぐそうやって、冷たい言い方をする」
鈴子さんは僕のトゲのある言い方に気がついたらしく、少しむっとした口調で抗議する。
「だって女子舎抜け出して、ゆりさんに怒られてもしらないよ?」
ゆりさん――門倉ゆり先輩は、僕たちの寄宿舎・櫻荘の代表舎長で、同時に櫻荘の左半分の女子舎の舎長。学年でトップクラスの成績のうえに現生徒会長なんていう堅苦しい肩書きまで持ってる人だけど、本人はいたって親しみやすい人。明るくてやさしくて世話好きで、しっかりもの。理想的な先輩。とはいえやっぱり舎長は舎長だから、規則違反を見つければ、一週間のトイレ掃除とか週末の外出禁止とか、罰則を与えるのも仕事のうちだ。
ところが鈴子さんは、ゆりさんなら大丈夫だよ、なんてことを言う。
「あのね、ゆりさんとは廊下でばったり会ったの。ひのきちゃんのところに行ってきますって言ったら、ひのきくんなら身内だし、でも三〇分で帰ってくるのよ、って」
部屋を抜け出した時点ですでに舎長に見つかっているにもかかわらず(ばったり会ったって言うけど、それってきっとゆりさんは消燈後の見回りだったはずだ……)、門限破りの目的を堂々と話す鈴子さんは大物っていうか、抜けているっていうか。でも、身内っていう理由だけで許可するゆりさんもゆりさんだと思う。信頼されてるのは嬉しいけど、門限破りを簡単に許可なんてしたら、マズいことになるのはゆりさんのほうなのに。
「まあ、舎監の先生に見つからなければ問題ないことだけどさ。でも鈴子さんはあんまりこういうことやんないほうがいいよ。ドジだから」
規則の網の目を器用にかいくぐって超法規的な(おおげさだけど)生活するなんてこと、逆立ちしたってできっこない人なんだから。
「む。また、そういうことを言う。もう。せっかくコルネパイあげようと思ったのに」
鈴子さんは僕の余計な一言にそうふくれながらも、携えてきたポシェットから、てのひらサイズの細長い包みを取り出して、開いてみせる。
「おっ?」
「たまちゃんの差し入れなの。新レパートリーなんだって」
たまちゃん――三坂珠美(ちゃんっていうのは、僕たちのクラスメートで、鈴子さんと特に仲の良い友達のひとり。お料理クラブに入ってる。一見おとなしそーなんだけど、調理実習の時間になると、とたんに、塩や胡椒やら調味料の加減から素材選びのコツ、フライパンを持つ手首の返し角度からおたまや包丁の手入れまでにこだわる、炎の料理人≠ノ変身する。なかなかユニークなキャラしてる子。寄宿生ではないけど学園の近くに家があるので、たまにこうやって手作りのお菓子なんかを持って櫻荘に遊びにくる。
「どーお? おいしそうでしょ?」
鈴子さんがいたずらっぽい目で僕の顔を覗き込んでくる。うっ……形勢が逆転してしまった。
「うん。かなり……」
切り札を持っていたとは……。僕は大の甘党(鈴子さんはもっとだけど)なのだ。秋の夜長の洋生菓子なんて、スペードのエースに匹敵する。
しかし鈴子さん、長々ともったいぶることもなく、くすっとほほえみ、
「しょうがないなぁ。はい、あげる」
と少しお姉さんぶった調子になりながらも、僕の手に包みを載せてくれる。
「いいの?」
「うん。食べて食べて」
こういうあっさりとしているところ、鈴子さんのいいところだと思う。もし柊が相手だったら、代わりにどんな用件を持ち出されるやら。
「ところでさ、鈴子さん。わざわざこれだけのために抜け出してきたの?」
寄宿舎の食堂でお湯を拝借して入れてきた熱々コーヒーでコルネパイを味わったあと、鈴子さんとふたりでなんとなーく夜空にまあるく輝く月を眺めていた僕は、ふと思いついて訊く。
洋生菓子だから、たしかに今日中に食べたほうがおいしいとは思うけど、でもそれだけの用事でゆりさんが時間外外出を見逃してくれるものかな? って疑問に思ったのだ。
案の定、あ、と鈴子さんは小さく声をあげる。
「そうだよ。忘れてたよ」
鈴子さんはそう言いながら、さっきコルネパイを取り出したポシェットから、一通の茶封筒を出し、はい、と僕に手渡す。
「これは?」
「えへへ〜」
「?」
鈴子さんはほほえむだけで説明をしようとしないので、封筒をひらいてみることにした。この厚手のしっかりとしたつくりの茶封筒は、鈴子さんが好んで使ってるものだけど、そのなかには……なにかのチケットが二枚?
――って、これ!
「うそ! これって!」
思わず大声を上げてしまい、あわてて声をひそめる。
僕の大好きなバンドのライブチケットだった。最近、CMのタイアップの影響でブレイクしてしまった人気急上昇バンドなんだけど、なんでもメンバーのひとりが四の森学園の最寄町である美浜町の出身ということで、明日、美浜町パサージュの市民ホールで凱旋ライブがあるのだ。
当然、僕はチケットを取ろうとした。
でも、テレビの影響力はこんな田舎町までしっかりと浸透していて、チケットは販売開始十数分後にSOLD OUT……。
背に腹はかえられないと、インターネットのオークションもチェックしたけど、いつもならあきれるほどの数の転売屋も、田舎のライブとあなどってノーチェックだったのか、全然出品してこない。チケットセンターのキャンセル待ちもけっきょく空振り。
そんなこんなで、それはそれは地団駄を踏むほど悔しい思いをしたのだけど、でもその一度はあきらめたチケットが、いま、目の前にある。それも二枚。一枚は鈴子さんのだとしても、もう一枚あるってことは――。わざわざ見せてくれたってことは――。
「す、鈴子さん! こ、これ?」
チケットをぷるぷると握りしめ、思わずどもりながら鈴子さんに問いかける。
「うん。隣の部屋のおともだちがね、二枚あまっちゃったんだけど、明日じゃ誰も都合がつかないからよかったらって、くれたの。ひのきちゃん、行きたがってたでしょう? だからどうかなって思ったの」
「行く行く! 絶対行く!」
勢い込んで言う僕。
するとそんな僕を鈴子さんは何故か嬉しそうに見つめ、それから少し首を傾け上目づかいになりながら、言う。
「あのねー、実はひとつ条件があるんだなー」
「な、なに?」
興奮している僕は、いまだったら、鈴子さんがタダで手に入れたチケットだろうがなんだろうが、定価の二倍や三倍くらいなら平気で出す勢いだ。
しかし……鈴子さんの言い出した条件というのは、例によって例のものだった――。
鈴子さん、にっこりとほほえんでくちをひらく。
「鈴子ねえちゃん、って呼んでくれたら、連れて行ってあげるんだけどな」
「うっ……」
そ、そうきたか! と思ってつまったのも一瞬。でもまわりには誰もいないし、べつにいいかって考えにすぐに傾いた。この、このプレミアムチケットが手に入るならば、べつにちっぽけなこだわりなんてどーでもいいじゃないか、って。
だって学園に入学するまでの十数年間はなんの抵抗もなく呼んでいたわけだし、「減るもんじゃないんだから」なんてこの前、柊も言ってたけど、たしかにそのとおりだ。
――と、そこまで考えて、ん? とひっかかりを感じた。
なんだか違和感が……って、もしかして……。
そこで訊いてみる。
「鈴子さん、もしかして誰かにそう言うといいよ、って言われた?」
「えっ? あれれ? どうして?」
少し驚いたようなきょとんとした顔つきで確信した。
やっぱりな。
なにかを条件にして人に要求するってやり方、鈴子さんらしくないのだ。もしそれをするなら、コルネパイのときにすでにやってるはずだ。
こういうこざかしい手口を得意とするやつと言えば――。
「柊でしょ?」
ずばり指摘する。
鈴子さんが男子舎に直接僕を訪ねてこなかったということは、隣の部屋の子がチケットを持ってきたのは消灯時間後か、あるいはすれすれの時間。となれば、その場に鈴子さんのルームメイトである柊がいないわけがない。
「ふぇ〜。なんでわかったのぉ〜?」
と鈴子さんは思わずもらしてから、あわててくちをおさえるが、もう遅い。
余計な入れ知恵したのはやっぱりあの女だったか。
「なんて言われたの?」
じろり、と鈴子さんをにらみつける。
「あう……え、えっと、あの……ひ、ひのきちゃん、チケットを手に入れるためならなんでもすると思うから、この機会におねえちゃんって呼ぶって約束させなさいって。いまが最大のチャンスよって」
まったく。
柊のやつ、たぶんこの企みを楽しむためだけに、チケットを僕に譲ったな。
ほんとに、どうしてくれようか……。
「内緒よ、って言われたのに、ひのきちゃんが責めるからぁ〜」
う〜っと唸りながら恨めしそうな顔でにらんでくる鈴子さん。
そんな泣き言、僕に言うのは筋違いだってば。
「それでひのきちゃん。どうするの?」
「え?」
「おねえちゃん、って呼んでくれるの?」
「へ? だ、だって、普通は企みバレたらチケットはタダで譲ってもらえるものなんじゃあ……」
「それとこれとは話がべつなの。うん、でも、バレちゃったから、一回だけでいいよ」
「う〜っ…………」
――結論だけ言うと、翌日、ライブには行った。
(すぐきてね、だいじなはなしなの・終)
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