四の森学園物語
(1) 傘とキャンディ
新学期はいつだってあわただしく始まる。それはもう僕の都合なんかには少しもおかまいなく。鈴子さんはまったくもってあわただしさとは縁のない人だ。のんびりマイペースで我が道を行く人。でもそのおかげで、鈴子さんがゴーイングマイウェイでケセラセラなおかげで、いつだってあわただしい事態にまきこまれることになるのだ、この僕は。それでいて鈴子さん自身は、いまがどういう状況か、なんて一度だってせっぱつまって考えたことがないんだろうから不公平極まりない。
いまだって、僕のあとに続いてプラットホームへの階段をかけのぼりながら、ひのきちゃん、次の電車にしよう? 毬ちゃんたちにはもうしわけないけど、もう間に合わないと思うの、なんて、息をきらせながらも期待に満ちた表情を向けてきてる。
遅刻してきたのは鈴子さん。遠足前の小学生のように、興奮して夜中まで眠れず、けっきょく寝坊したっていうんだから、非は鈴子さんにある。だから、まったくもう、だめだってば! 急げばまだ間に合うんだから! と次の電車案は即却下。運動苦手の鈴子さんには酷だって知ってるけど、全力で走ってもらうのだ。
でもこれっていじわるだけじゃなくて、もっと切実な理由がある。僕たちの乗る四の森学園(行きの列車、二時間に一本しか走っていないのだから。
ところが鈴子さんはというとやっぱり鈴子さんで、あくまでもお気楽。
「でもね、いま一番館でね、『シェルブールの雨傘』、やってるの。これから行くと、観終わったころ、ちょうど次の電車の時間になるんじゃないかなって思うの」
頭のなかに浮かぶ、色とりどりくるくるカラフルなまるい傘。
鈴子さんの大好きな映画。つきあいで何回観たことか。カトリーヌドヌーブの看板見かければ映画館にふらふら吸い込まれるし、昔ダビングしてあげたビデオなんてテープがのびきってるくらい。たしかに僕も嫌いな映画ではないんだけど……って、だからいまはそんな状況じゃないんだってば。
「あのさ、鈴子さん、学校にもどるの楽しみにしてたんじゃないの?」
「うん。でもね、学校は逃げないでしょう? 映画は次いつ観られるかわからないの」
「たしかに学校は逃げないけど、門限はあるでしょ」
あ、そっか、っていまさらながらにうなづく鈴子さんをせかして、なんとかホームにかけあがると、そこで発車のベルがチリリリリリッと鳴り響く。
「わ、ひのきちゃん、どうしよう」
「ダッシュ、ダッシュ!」
と、そのとき、あわてて車両に走る僕たちに、少し離れた車窓から声がかかる。
「すーずー! ひのきー!」
ふりむくと、さっぱりショートカットの少女と、身体の大きな少年が窓から身を乗り出して僕たちに手をふっている。手をふっているだけじゃなくて、あわててる僕たち見て、笑ってる。
「毬ちゃんと大介くんだ。おーい」
「鈴子ねえちゃん! いいから早く!」
思わず立ち止まり手をふる鈴子さんの後襟をむんずと引っつかむと(はうっ、とか息を詰まらせるのが聞こえたような気もする)、僕はなんとか発車寸前の車両に飛び込む。僕と鈴子さんの背後でドアの閉まるぷしゅーという音。やれやれ。ほんと、あわただしいったら。
電車のなかは僕たちと同じく、四の森学園に向かう生徒たちでいっぱい。ほとんど専用列車。でも、今日から学校ってわけではないから、みんな私服。実はみんな、休暇から学園付属の寄宿舎に帰る舎生たち。僕と鈴子さんもそう。櫻荘って寄宿舎に帰るとこ。始業式は明日で、これからガタゴト三時間近くもゆられて門限に間に合う最後の列車がこれだから、決まって毎年この日のこの電車は、四の森の寄宿生たちであふれかえることになる。
僕たちは車内をかきわけ、ひさしぶりの挨拶をあちこちで交わしながら車両を進み、さきほど窓から顔をのぞかせていたふたりを見つけ出す。
「あいかわらずね。あんたたち」
先学期以来(といっても春の休暇は二週間足らずだけど)だっていうのに、さっそくの憎まれ口は、柊毬絵(。女の子のなかでは少し高めの身長に、こざっぱりとした短い髪してる。すらっとした容姿してるし、本人も皮肉っぽい口調でしゃべったりして、クールぶってるところがあるんだけど、実は世話好きの巻き込まれ型。本人は否定するけど、意外とロマンチストでもある。僕や鈴子さんとは昨年度のクラスメートで、また鈴子さんの場合はルームメイトでもある。
僕は柊のセリフを、おかげさまでね、って軽く受け流して、お尻にやさしくないいまどき木製の四人がけの座席、窓際につめてくれた大介のとなりに座る。
「大介、ひさしぶり」
「おう」
僕と大介は軽くてのひらをはたきあわせてそんな挨拶を交わす。
フルネームは、高島大介(。無口なわけではないけど口数多いほうではないし、身体も大きいので、見た目圧倒されるんだけど、性格はおだやかで、笑顔が妙にさわやかだったりもするやつ。僕のルームメイトで昨年度は、鈴子さん、柊とともにやっぱりクラスメートだった。学園では陸上部に入っているけど、意外なことに実家は生け花の家元だとかで、正真正銘のお坊ちゃま。笑顔がさわやかなのは、きっと育ちのせいだと思う。
「ところでさ、ひのき」
鈴子さんのために、やはり窓際に席をつめながら、柊がくちをひらく。なんだかにやにやして、ヤな感じ。
柊は僕の返事を待つまでもなく、すぐに続ける。
「鈴子のおねがい、きくことにしたわけ?」
「鈴子さんのおねがい?」
柊の言うこと、僕には、なんのこと? って感じなんだけど、鈴子さんはすぐに反応する。
「そうなのぉ! すっごくすっごくひさしぶりに呼んでくれたの! 嬉しいのぉ!」
両手を胸の前で組んで、しあわせそうにほほえむ鈴子さん。
ほかならぬ鈴子さんのその反応で、僕にもなんのことだかわかった。
うん、たしかにわかったけど、でも――。
「俺、言ってないって」
「言ったわよ。憶えてないの?」
「いつ?」
「さっきよ。鈴子ねーちゃーん、いいからはやくぅ」
柊がわざと間延びした言い方をする。そんな甘えた言い方は絶対してないと思うけど、でも、たしかに同じようなことを鈴子さんに言った憶えはある。あるにはあるけど……。
「でも、鈴子ねえちゃん、なんて言ってないって」
ちゃんと、鈴子さん、って呼んだと思う。
「絶対、言った。そうよね、大介?」
かばいだてすると承知しないわよって目で柊が大介をにらむ。
大介は苦笑しながら、
「いや、ひのき、お前たしかに桂木のこと、鈴子ねえちゃん、って呼んでたよ」
って答える。
ほらね、と勝ち誇る柊。
はあっ。思わずため息が出る。柊はともかく、大介が言うならたぶん、言っちゃったんだろうな。柊がすごまなくても、嘘つくのヘタなやつだから。根が正直者。
しかし、長年の習慣って怖いな。気をつけてるのに、ちょっと油断すると出てしまう。
鈴子ねえちゃん、って呼んだ、呼ばないというのがなんのことかというと、つまりこういうこと。
僕と鈴子さんは、実は同い年のいとこ同士なんだけど、去年、四の森学園に入学するまでずっと、鈴子さんのことをひとつ年上だと勘違いしていて、鈴子ねえちゃん、って呼んでた。昔から、いつでものんびりにこにこマイペースぶりを発揮していて、それを年上の落ち着き、みたいなものに感じたからなんだけど、でも、同い年ってわかった以上は、鈴子ねえちゃん、なんて呼べなくなるのは複雑なお年頃の青少年としては道理だと思う。いままで同い年の女の子を、おねえちゃんなんて呼んでしまっていたこと自体、赤面ものなのに、ましていまはクラスメートなわけだし。
それで、僕は鈴子ねえちゃんのことを、鈴子さん、って呼ぶことにしたんだけど、でも当の鈴子さん自身は、いまさら他人行儀だ、みずくさい、わたしのこと嫌いになったんだ、なんていって納得しない。
で、それ以来、鈴子さんはことあるごとに呼称変更を要求してくるようになったのだけど、僕としてはもちろんそれに屈するわけにはいかなくて、本人同士以外には実にくだらなくたわいもなく見える小競り合いを続けてる。
ただ、さっきもそうだけど、ときどきぽろっと、鈴子ねえちゃん、ってくちに出してしまう事があって、そんなときは鈴子さんはえらく喜ぶし、ついでに柊やその他数名の僕たちの事情を知っているやつらをおもしろがらせることになってしまう。
でもほんと、鈴子ねえちゃん、ってくちにしたの、ひさしぶり。休暇中に気がゆるんだのかも。気をつけないと。
「ね、ひのきちゃん。もう一回、呼んで欲しいな」
僕が決意をあらたにしていると、鈴子さんが目を輝かせながら、調子のいいことを言い出す。
「そうよ。新学期なんだから、サービスしてあげなさいよ」
鈴子さんだけじゃなく、さらに柊まで無責任なことを言う。してあげなさいよ、なんてしれっと言ってのけてるけど、いざ僕が、鈴子ねえちゃん、なんて呼んだら、いの一番に大笑いするに決まってる。
「やだ。新学期なんて関係ないし」
「む〜。ひのきちゃんのケチぃ」
そんな恨みがましい目で見ても、ダメなものはダメ。
電車は僕たちを乗せ、深まる緑のなかを走っていく。
まわりの四の森の生徒たちは、おみやげのキャンディやらクッキーやらを出しあってぽりぽりとつまんでもりあがってるけど、僕たちはまだおあずけ。さきにはじめてるとうるさいのが約二名いるから。
やがて、しばらくして、山のなかのぽつんとひらけた高台の無人駅に到着する。そして今度は、僕や鈴子さんも窓から身を乗り出して、手をふる。
おーい、と声をかけるさきに、おそろいの茶革の旅行鞄におそろいの小花模様のワンピース姿できょろきょろと列車をみまわしているちょこなんとしたちっこい少女がふたり。おそろいといえば、あーいたー! って僕たちをふりむいた瞬間にぱっとひらいた笑顔もまたそっくり。
彼女たちの名前は立花小梅(と小雪(。一卵性のふたごで、四の森学園一の元気者。無邪気で天真爛漫で好奇心旺盛。おしゃべりやイベントごと、不思議なことやかわいいものが大好き。しばしばトラブルメーカーと呼ばれたりもするけど(僕に)、一緒にいるとすっごく楽しいやつら。昨年度はやっぱりクラスメートで櫻荘の住人。
ふたりは、たったったっ、といったん僕たちのいる窓の下までやってくると、ねーねーねーねー! といきなり興奮した口調でしゃべりだす。
「ねーね、聞いて! 聞いて!」
「さーいしーんじょーほーなんだからぁ!」
「美浜町でね、すっごいのぁ!」
「かわいいのぉ! これは絶対逃せないんだからぁ」
僕の服の袖をつかんでぴょんぴょん跳ねながら、まくしたてるふたご。
「なんのことだかわかんないから、落ち着けってば」
ふたごのはしゃぎっぷりに思わず苦笑しながら僕は言うけど、ふたりの「聞いて聞いて!」熱はぜんぜん冷めない。
「落ち着いてられないよぉ!」
「ひーちゃんだって話聞いたら、興奮するのまちがいないんだからぁ!」
「なあに? 美浜町でなにかあったの?」
「あー鈴ちん! そーなのぉ!」
「もう興奮ものなのっ! あのね、あのね!」
鈴子さんが会話に参入して、ますますエスカレートしていくふたごを見て、やれやれって感じに肩をすくめる柊。そして、はいはいはいはい、と話を中断させて、窓の外のふたごに言う。
「いいから、早く乗りなさいって。発車しちゃうわよ」
ふたごは顔を見合わせて、あ、そうだねって笑いあうと、僕と大介に、よろしく! ってちゃっかり荷物を手渡し、そして近くの乗降口までかけていく。
乗降口のあたりでわあっと歓声があがったのは、寄宿舎生でふたごのことを知らない人がいないほど顔が広いから。ふたごってだけでもめだつのに、いっつもあちこち顔だしてところせましと跳ねまわってるから。
さてふたたび列車は走りだして、ふたごも合流した僕たちは即席の移動お茶会をして過ごす。
白地に赤茶のタータンチェックのクロスを敷いた座席備え付けのちっちゃなテーブルには、柊の入れてきたカモミールに、ふたごが母親に焼いてもらったリンゴのパンケーキ、僕と鈴子さんの用意してきた生クリームにチョコスティック、それから大介が実家のいちご畑からとってきたコンデンスミルクなんていらないほどのあまーいいちご。
話題は、ふたごの、さーいしーんじょーほー。
件名は“黒くて地味な紳士ものの傘がポンとひらくとキャンディが降ってくる”とかなんとか言うそうな。
なんでも僕たちの休暇中、四の森学園の最寄駅のある美浜町(の商店街、美浜町パサージュでは、雨が降ると紳士ものの傘が突然ひらいてキャンディをまきちらす、というなんともメルヘンチックな事件が連続して起きていた、というのだ。
「四の森学園不思議ハンターの小梅たちは、休暇中でも情報収集をおこたらないのだ」
「いつでも不思議レーダー全開なんだもんね」
仔細を話し終えたふたごは、えっへん、とほこらしげに胸をはってみせる。
そんなふたごに、
「大道芸人のパフォーマンスなんじゃないの?」
なんて、気のない意見を投げつけるのはもちろん柊。露骨にあくびなんてしてみせてる。
でもそんな柊のちゃちゃでは、ふたごたちはぜんぜんめげない。
「そんなことないよ。だって、すっごくたくさんの人が遭遇してるって話だもん。ね、雪ちゃん?」
「うん。ベンテンヌマのサヨリちゃんも、目の前で見たって言ってるんだから」
「ベンテンヌマのサヨリちゃん?」
聞いたことのない奇妙な名前が出てきて、聞き返す。
「あ、サヨリちゃんは、不思議ハンター仲間」
「小雪たちのメールともだちなの」
休暇中に、不思議ネタを扱ってるホームページで知り合って意気投合したんだとか。
「……なんかあやしげなハンドルネーム」
思わずぽろっとくちにしてしまうと、とたんにふたごはくちをとがらせる。
「そんなことないよぉ。サヨリちゃんは怪しくなんかないよぉ」
「ひーちゃんもメール送ってみればわかるよぉ。すごくていねいな子なんだから」
ま、僕までサヨリちゃんとメールともだちになるかどうかはおいといて、“黒くて地味な紳士ものの傘がポンとひらくとキャンディが降ってくる”って話を聞いた鈴子さんはというと、傘の出てくる映画を観そこねたばかりということもあって、めちゃくちゃ乗り気。なにに乗り気かっていうと、もちろん噂の不思議を観に行くことに。ふたごが不思議ネタを披露するってことは、つまり、みんなで観に行ってみようよ、ってことだから。
大介はというと、美浜町でどんなことが起きてもいまさら驚かないけど、観に行くのに依存はないよ、とのこと。どんなことが起きても驚かないっていうのは、四の森学園や美浜町のあたりって、しょっちゅう不思議なことが起きてるから。学園に入学して一年も経てば、慣れっこになってしまう。
僕自身は、反対する理由もないっていう消極的な理由で、まあいいかなって。柊は、めんどくさいなぁ、はやく櫻荘に帰ってゆっくりしたい、なんてしぶっていたけど、でもあんたたちにはお目付け役が必要よね、なんて大人ぶって、けっきょく、全員賛成で美浜町に寄り道して行こうってことになった。
「でもさ、雨降らないと、それって起きないんじゃないの?」
そういえば、って素朴な疑問がわいてきて訊いてみる。
「あれ、ひのきちゃん、言わなかったかな。美浜町のほう、夕方から雨なんだよ?」
「嘘。傘持ってきてないよ。」
だってさっき電車に乗るときなんて、雲ひとつない快晴だった……。
「ばっかねー、あんた。住むとこちがえば天気だってちがってくるでしょうが。考えなさいよ」
ほんと、柊ってくちが悪い。でも、そっか。ふたごがやけに興奮してるのは、ちょうど櫻荘に帰る日に雨が降って、噂の“傘とキャンディ”に遭遇する絶好の機会だったからなわけか。
しかし、傘、困ったな。鈴子さんが、一緒に入ればいいよ、なんて言ってくれてるけど、お互い荷物を抱えてるわけだし、それはこの電車で四の森に向かってるみんなが同じなわけだし。
と、そんなことを考えている僕に、腕を組み、なにやらうなづきながら小梅が言う。
「でもさ、ひーちゃん、傘持ってないなら、ちょうどよかったよ」
「え? なんで?」
「あのね、小雪たち、黒い地味ぃな傘なんて持ってなかったんだよ。だからどうしようって思ってたの」
にこにこ×2。期待に満ちた目で僕を見つめてくるふたご。みなまで言わなくてもふたりの言いたいことはわかった。
「えー、俺、やだよぉ。どうせ買うなら、ほかの色がいいしぃ」
紳士ものの黒って、いかにも無難なものを選びましたって感じがして、おもしろみがないなって思うのだ。それに、寄宿舎の部屋に置きっぱなしにしてる折りたたみも黒だし。
ごねる僕に柊は言う。
「なに言ってんの。傘なんて雨がしのげればそれでいいじゃない」
ひとごとだと思って。だいたい、雨をしのぐためだけなんだったら、ほかの色でもいいって理屈になるじゃないか。まったく。
あ、でもそういえば――。
「な、大介は? 傘、何色?」
僕の折りたたみ傘もそうだけど、男って黒い傘持ってる率、けっこう高い。だから、ちいさな望みを大介に託してみるけど……。
「わるい。地味は地味なんだが、紺色」
……ということで、けっきょく僕が黒くて地味ぃな紳士ものを買うことになしくずし的に決定され、それからまたしばらく電車にゆられ、山を越えて谷を渡り、そして日の暮れるころには、終点の海辺の町、美浜町に。
普段からの行いが良いのか悪いのか、美浜町は期待通りの雨。
四の森学園は、ここからバスに乗ってさらに三〇分、この近辺では四ノ森と呼ばれているあたりにあるんだけど、僕たち六人はバス停に向かう寄宿舎生たちから離れて、美浜町パサージュへと繰り出す。
この美浜町パサージュ、田舎の地方駅の商店街にしては、なかなか豪奢な出来栄えだったりする。十九世紀パリのパサージュを少々近代的にアレンジして快適性を増したって感じで、なんでも、僕たちが四の森に入学する数年前、町おこしで商店街を一大改革して生まれたものらしい。
地元出身の有名な建築家が関わったということで、出来上がった当初は、テレビや雑誌に取り上げられたらしいんだけど、でも、海辺の町とはいっても海水浴客数万人を受け入れられるほどの浜辺はないし、町を抜ければすぐにだだっぴろい森林地帯が広がってるだけで観光するとこなんてないし、ってことで、しゃれた建造物もいまではすっかり市民生活に密着。町おこしがうまくいってるのかどうかはわからないけど、でもそんな肩肘はらなくて気軽に過ごせる空間、僕たちはけっこう気に入ってる。おいしい喫茶店、いっぱいあるし。
というわけで美浜町パサージュの僕たち。
繊細なモード・レトロ調の鉄枠にはまったガラス屋根には雨のしずくが弾け、カーテンが揺らめくように水が流れている。
「絶好の雨模様」
にじむガラスごしに暗い空を見上げ、小梅が嬉しそうに言う。
「これなら期待できるね」
空の不機嫌とは裏腹な、明るい声でうなづく小雪。
「……でも、これはやっぱり納得いかないよ」
手に持った黒傘に目を落としながら、僕は小声でぶつくさ言ってみる。
なにが納得いかないって、傘屋さんに入ったとたん、乙女心に火がついたのか、けっきょく大介以外のみんな、新しい傘を買ってるってこと。それも色とりどりの大輪のなかから選んだ自分のお気に入りのものを。そのくせ、僕には奈落の底のように黒くやぼったい紳士ものの傘以外、手にとらせてくれなかった。おしゃれは女の特権、なんて言うんだからズルイ。別にこだわるほどのファッション観なんて持ってないんだけど、でもせっかく買うんだから少しは迷いたかったよな、って思う。
「男らしくないなぁ。いつまでもグズグズ言わないでよねー」
僕のぼやきを柊が聞きとめる。
さきほど購入したオフホワイトの深張り傘を手に、言葉は乱暴だけど珍しく女の子っぽく浮かれた調子だから、なおさら小憎らしい。実際、今日の柊の服装、柔らかい生地の紺色ワンピースにオフホワイトの傘の組み合わせって、ショートカットの柊にすごく似合っていると思うんだよな。相手が柊だけに、認めるのはなんか腹立たしいけど。
「よく言うよ。普段、男らしいとか女らしいとかって言葉使うと目くじらたてて怒るくせに」
僕は皮肉をこめて柊に反撃する。
しかし新品の傘を手に入れ上機嫌の柊は、
「そうだっけ? でも今日は気分がいいからいいの♪」
とまったく動じない。
ああ、そうですか、それはよござんした。
「それで、これからどうするの?」
これみよがしに傘をふってみせたりする柊の相手はそこそこにし、今日のイベントの主宰者である小梅たちに訊いてみる。
「うーんと、小梅たちが聞いた情報だとね、パサージュのなかのどこか特定の場所ってわけじゃないみたいなの」
「三日前は駅前ロータリーに近い場所だったし」
「先週は文化ホール前で出たって話」
「どこかのデパートのエントランスホールっていうのもあったよね」
小梅と小雪が交互にテンポよく話して情報を整理する。
「最初は仲見世通りの北口あたりなんだっけ?」
車中での会話を思い出して、鈴子さんがつけたす。
「うん。見事にバラバラ。だから、とくに場所を決めないでパサージュのなかを歩きまわってみるしかないかなって」
「みんなの運をよせて合わせて、あとは天まかせ」
「げ……」
美浜町パサージュは、道路筋でところどころ途切れながらも、町の中心街のかなりの範囲を覆っているから、歩いてまわればゆうに三、四〇分はかかるのだ。
でも……。
「でも、それしかないのかな」
門限までの時間、それほどあるわけじゃないし、迷ってるひまはない。
「よぉし、それじゃあ、はりきって行きましょお〜」
鈴子さんがのーてんきな声で号令をかけると、ふたごは元気よく、おー! とこぶしをあげ、先頭を鼻歌まじりに歩き出す。そのあとに期待に満ちた笑顔の鈴子さんが続き、一度大きく伸びをして柊も続き、そしてこういう場合、僕と大介はたいていノリ遅れてお互いに顔を見合わせ、それから一度ため息をついて歩き出すのが常なのだった。
駅前ロータリー、文化ホール前をまずチェックし、それから仲見世通りを流す。
先頭はあいかわらず立花のふたご。
ただ先導するだけじゃなくて、商店をかまえるおじさんやおばさん、それから道行く人に声をかけ、新しい情報をひきだそうとするところなど、四の森学園不思議ハンターの面目躍如といったところなんだけど、なんというか、頼もしいやら恥ずかしいやら。
でも商店街の店員さんや買物する人たちから、好奇の目で見られたりはしないから気楽は気楽かな。
なにせ、美浜町に四の森学園、それから学園のまわりの一ノ森から七ノ森、ここらへんってほんとにあきれるくらい簡単に不思議なことが起きる。
僕も大介も、入学したてのころは、物珍しくてクラスメートや櫻荘のみんなと騒いだものだけど、いまとなってはふたごに誘われでもしなければ、わざわざ不思議を探しになんて出かけない。僕らにとって不思議な出来事はいつのまにか、空が晴れたり曇ったり、雨が降ったり虹がかかったり、っていうのと変わらないことになってしまっているから。
だから、僕らよりもずーっと長くここらへんに住んでいる人たちなんてなおさらだと思う。たとえ傘からキャンディが降ってきても、それって茶飲み話になるくらいのもの。
とかなんとかそんな感じで、ほんと、つくづく変なところに住んでるんだよなぁ、なんてあらためて考えながら歩いていると、
「「あ、見て見て!」」
というふたごの声。
顔をあげてふたごの指さすほうを見ると、ちょっとさきの人なみで、パサージュのなかだというのに黒傘がひらき、そのまわりになにかファンシーな色あいの光がきらめいている。
と、思ったら、今度は和菓子屋さんの前にいたおじさんの黒傘が、シュポンっとひらき、ピンクやみずいろの淡い光をパラパラとまきちらす。
「……出たね」
柊があきれ顔でつぶやく。
「ほんとにキャンディーだよぉ〜!」
驚きながらも、うれしそうに顔をほころばせている鈴子さん。
ふたごはといえば、やったやったと手をとりあって、ジャンプジャンプ。
でも……ほんとにキャンディー降ってる。
無愛想な黒傘がシュポンとひらくたびに、ぱあっと色とりどりの飴玉が空中にひろがる。
ゼリービーンズ、いちごみるく、フルーツクランチ、レモンタブレット、バナナタブレット、ラムネ、グミキャンディー、フレーバーキャンディー、フルーツスウィートキャンディー、フルーツミント、ロリーポップ、七色の金平糖……。
その光景に見惚れているうちにも、右や左の黒傘が、シュポン、シュポンと花ひらいては、キャンディーをまきちらす。
シュポン。
シュポン。
シュポン。
シュポン。
って、こっちにどんどん近づいてきてる!?
ぼーっとくちをあけて眺めていたのも一転、僕は黒傘をどうしていいかわからなくて、あわあわと慌てだすのだけど、ときすでに遅し――。
「シュポン」
って軽やかな音と、きゃあっていうふたごや鈴子さんたちの嬉しそうな悲鳴とともに、僕の持っていた黒傘も花咲いて、ガラスのパサージュのなか、きらきらきらきらと宝石のような光をまきちらす。
「きゃあ。ひーちゃん、次、小梅、小梅」
「あ、ずるいー。小雪が先だよぉ」
「あうー、みんな、待ってよ。ここはジャンケン! ジャンケンしよっ」
突如として、ひっぱりだこの人気者にはやがわりする、黒くて地味ぃな紳士ものの僕の傘。
みんな、調子いいんだから、まったく。
と、まあ、そんなこんなで、いつも同じところをくるくるまわっているようでいて、でもしずくをふりまいてきらきら輝いていたりもする雨傘のような僕たちの毎日が、また始まったのだった。
……なんてこと、くちにだしたら、柊あたりにまた笑われてしまうんだろうな。
長くてだらだらした直喩っていいわけがましいのよねー、なーんて、いらないことまでつけたされそう。
(傘とキャンディ・終)
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