ろけろりっ!! 〜 ちーさな恋のメロディ? あるいは ロケット・ロリータ ☆ ア・ゴー・ゴー!! 〜
☆
3LDKの「3」は部屋が三つの「3」、「LD」はリビング・ダイニングのことで、つまりテレビとかゲームとか置く部屋のことで、「K」はキッチンっていう意味だ。もちろん、トイレとお風呂もちゃんとある。4LDKは部屋が四つあるってことで、アルコーブ、っていうのはかーちゃんたちが立ち話する玄関前のことで、ウォークインクローゼット、は歩けるほど広い押入れのことだ。
へへーん。憶えちまったぜ。
ハルオは満足気にうなづくと、完成予定図≠ニ書かれたプレートから目をはなし、防護壁の隙間からのぞいている無骨な鉄骨のオブジェ、建築途中の十二階建てマンションを見上げる。
まだ骨組みだけの建物ではどこが階の境目なのかはっきりとはわからないけど、ハルオはあそこらへんが三階だきっと、と工事を覆うシートの途切れたあたりを決めつけ、四階、五階、六階、と数えながらぐんぐん見上げていく。
ぐんぐん、ぐんぐん見上げていって、十階、十一階、十二階――そして、そのさきにはぽっかーんと広がる目に染み入るような青い空。
たっけー!
十二階建ての建物は、小学生のハルオにとっては青空を貫いているかのように高い。バベルの塔よりも、ずっと高い。
こんなん、ぜってー、空に手が届くよマジで。宇宙まで行けちまうって。
もちろん、マンションの十二階に登ったくらいでは宇宙になんか行けないことは、平均すればちょっとおバカ? ではあってもまがりなりにも小学六年生であるハルオにもわかっていたけど、マンションをぎゅーんと昇っていってそのままの勢いで手を伸ばせば、もしかしたら届くんじゃないか、なんて、そんな気がした。
マンションはハルオというロケットを打ち出す発射台だ。
屋上から思いっきりジャンプして、雲を突っ切って、せーそーけん、越えて、たいきけん、突破して――たいきけん、はまさつがすごいからかあちゃんが冬の寒い日にときどき着る革のジャンパーかぶって突破して、そしたら宇宙だ、おお? 考えてみると意外と近いんじゃん? なんてハルオは想いを飛ばす。
宇宙に出たハルオの目の前の黒くて広い宇宙空間には、真空だからまたたかない星が数えきれないくらいいっぱいあって、銀色に光る月もぽっかりと浮いていて、足元にはもちろんでっかくて青くて綺麗な地球がある。
うっひょー。
ハルオはそれを見て無重力のなかで大の字に浮かんで、うわあ、うわあ、すげー、すごくすげー、めちゃくちゃすごくてすげー、でっけー、きれー、と真空だから声が聞こえるはずはないのだけど大声で叫び、うひゃうひゃうひゃと泳ぎまわって宇宙を身体いっぱいに吸い込む。もしかすると隕石のかけらとかスペースデブリとか暗黒物質とかも吸い込んでしまうかもしれないけど、そんな興ざめなことはハルオの頭には浮かばない。
そして思う存分はしゃいだあとはいよいよ旅立ちだ。ハルオは、地球に背を向けて、まなじりを決して、無数の星輝く宙に向かって泳ぎ出す――。
が。
どがっ!
ぽかん、とくちをあけたままいつまでも飽きずに空を見上げて空想にふけっていたハルオは、突然尻を蹴飛ばされる。いや、蹴飛ばされる、なんておとなしいものじゃない。揃えた靴の裏に体重を乗せきったそれは見事なドロップキックの炸裂。
「ぐあ!」
無様な声を上げながらハルオはおもしろいようにすっ飛んで、防護壁にグワシャリと激突する。顔面、鼻っ柱から激突して壁に跳ね返されてそのまま背中から地面にびったんひっくり返り、ランドセルがクッションになって頭は打たなかったけど、そのかわり背中がえびぞってグゲと息が詰まり、目の前はもちろんチカチカ、鼻の奥からは鉄錆の臭いがツーンと染みてくる。
なにが起きたのかわかんないけど苦しくてそれどころじゃなくて、げほ、ごほ、ぐほ、とお腹やら背中やら押さえて転がってうめいていると、
「かっこわるぅ。鼻血出てるー」
心底楽しそうなからからとした笑い声が頭上から降ってくる。
声を聞いた瞬間、ハルオは理解した。
「て、てめ、リカ、なにすっ、だよっ!」
途切れる息を無理やりおさえて声を絞り出す。
そうだよ、こんなことするやつ、リカしかいないじゃんか!
お腹と背中がこむらがえってひっくりかえりそうなどこが痛いんだかもうわけのわからない痛みをこらえながらハルオが見上げると、そこにはランドセルのベルトに指をかけ、ばかにしたような薄ら笑いを浮かべて見下ろしている少女の姿。
やっぱりリカだ。
ハルオの家のとなりに住んでいる幼なじみ。同じ歳で同じ私立の小学校に通っていて、しかも同じクラス。さいわい、席はとなり同士ではないけど。
特徴はいつでも自信に満ちた大きな目。それから活動的にふたつに結わった、背中のなかほどまである少し茶がかった髪。顔はハルオ的には認めたくないところだけど標準以上。つまり「かわいい」と言われることが割合多い顔立ち。割合、というのはかなりひかえめな表現なのだけど、それ以上はハルオの心が抵抗する。制服のスカートは短め。裾からのぞく白くほっそりとした脚にはたいてい黒とか白とかピンクのオーバーニーソックスをはいていたりして、ピンポイントで少しマセた格好をしていることが多い。ちなみに今日は黒。
つまり自分がかわいいってことをよく知っている、クラスで目立つタイプの勝気な美少女系。
いや、実のところクラスどころか、学年、校内レベルで有名な美少女なのだけど。
でも性格は最低だこいつ、とハルオは思う。
少しくらいかわいいからって調子こいて、男子のことなんてひとまとめの便利な使いっぱくらいにしか考えていない、凶暴最悪の暴力女。表ではいいこぶってかわいこぶって男子や先生にモテモテだけど、でも言うこときかないヤツはこうやって裏でぶっとばす。女子はみんなこいつの子分だ。こいつの仲間のしるしであるあの長い靴下をはくのを許してもらうためにみんなであいつをちやほやしてる。ほんと最悪。クラスでこいつにシロハタ上げてないのはあとわずかだけど、オレはぜってー負けねー。オレはこいつのことなんてかわいいともなんとも思わねーし、暴力なんかに負けねーし。……まあ、女のくせにめちゃくちゃ運動神経よくってそのうえ護身術なんて習ってるものだからあいつとの喧嘩は〇勝三六敗だけどそれはオレが手加減してやってるからだしなっ。もちろんっ。ぜったいっ。
リカは恨みつらみのこもりまくったハルオの険悪な視線にふふんと笑い、
「なんのことぉ? 鼻血ぶぅー」
べーっと憎らしげに舌を出して、ケラケラと笑う。
「とぼけんじゃね――ぐは!」
頭にきて叫びかけたハルオの顔をリカはなんの躊躇もなく踏みつける。ハルオの位置からは白いパンツが丸見えだけど、ハルオのことなど虫けらぐらいにしか思っていないのか、気にするそぶりなんてまったく見せない。
「なに生意気なくちきいてんのよ。鼻血ぶぅー」
パンツのこともふくめて、むっかああ、っと腹のなかに抑えきれない怒りがわいてくるが、ハルオはいまださきほどのダメージから回復していなくて振り払うほどの力が出ない。
こいつほんとムカつく。マジムカつく。最悪だこのブス! ブス! ブス!
しかしリカは屈辱に顔をゆがめるハルオのことなど露ほども気にしない様子で、防護壁に貼り付けてあるプレート――さきほどハルオが眺めていて、またドロップキックをくらって激突した場所――に目をとめる。
「なに見てたのよ? えーと、完成予定図?」
完成予定図≠ニ書かれたプレートには、マンションの全体俯瞰図のほかに、分譲される部屋の間取図がいくつか載っている。
「ふうん、けっこう良い感じじゃん」
リカが物件のひとつ、ハルオも見ていた3LDKの間取りを興味深げに覗き込みかけると、
「ふん。ここに住めばてめーみてーな暴力女とは縁が切れると思って見てたんだよっ」
と、踏みつけられ地べたに這いつくばったまま、ハルオが精一杯の嫌味を投げつける。
リカはハルオの頬をむぎゅっとますます踏みつける。
「ふーん。あんたの将来なんてどうせちんけな会社の係長ぐらいだろうけど、ま、小銭かせいでがんばるのね。二〇年くらい経てばこのマンションも格安になってるわよ」
「バーカ。オレの夢はそんなにちっさくねえ。オレはう――ぐほ!」
踏みつけていた足が短いスカートとともにすばやくひるがえって、ハルオのわき腹に強烈なインステップキックをくらわせる。
ハルオはもうなにも言えなくなってのたうちまわる。
リカは、腹のなかのものがこみあげてきてしきりとえずくハルオを冷たい目でしばらく見下ろしていたが、やがて、ふん、と顔をそむけて何事もなかったかのようにその場を去っていく。
ぐっぞおお、あのぼおりょくおんなああああ、おぼえでろおおおおおお!
地面をのたうちまわるハルオの言葉は声にならない。実のところへたに声になってリカに戻ってこられても困るとハルオはちらっと思ったけど、そんな心の声は聞こえなかったことにした。オトコノコだし。
〇
ハルオから充分遠ざかると、リカは物陰に隠れてがっくりと肩を落とした。
ど、どうしてわたしってこうなんだろ……。
ハルオちゃんが相手だと、
思わずばかにする。
思わずあざける。
思わず殴り飛ばす。
思わず蹴り飛ばす。
思わずプライド踏みにじる。
だめじゃん、わたし。どんどん嫌われるだけじゃん。
はうううううと落ち込むリカ。
リカはハルオのことが好きなのだ。
もうずっと昔、一緒にお風呂に入っていたころからずーっと。
でもここ数年いつもさっきのような調子だ。
無防備なハルオを見つけると、ふいうちして限界までボコってしまう。
本当はそんなことしたくないのだ……というのはウソだ、だって好きな子っていじめたくなるじゃん、という心の声をリカのオンナノコな心は聞こえないふりをするけど――いや、その心の声こそがオンナノコな心なのかもしれないけど――でもともかく、ボコるよりもいちゃいちゃ仲良くしたいのは本当だ。
手をつないで学校に行きたいし、授業中ふと目が合って照れてうつむいたり、お昼休みはふたりきりで手作りのお弁当を食べてもらったりしたい。学校は給食だけれども。
でもリカが実際にやっていることはというと、手をつなぐかわりに腕を極めて投げ飛ばし、目が合えばにらみかえして言葉攻め、給食の時間は足を引っかけてトレーごと転ばせようと常にハルオの隙を狙っている。
そもそも好きな子をいじめるのとボコるのとは、やることが似ているといえば似ているけれども、やっぱりまったくちがう。色っぽいお姉さんが強引に押し倒して迫るのと、格闘選手が因縁の相手をマウントポジションでボッコボコにするのと同じくらいにちがう。
リカだって、ちがうことはわかってる。
だって徹底的に痛めつけたあとのハルオちゃん、いつも泣きそうだし……。
でも悪いのはハルオちゃんのほうだ、とリカはすぐにほおをふくらます。
わたしがやりすぎているのはたしかだけど、もとはといえば約束≠すっかり忘れてしまっているハルオちゃんが悪いんだもん。
ひどいよ、ひどいよ。
わたしにとってこの世で一番大切なコトなのにぃ。
肩を落としたまま物陰を出たリカは、駅前のスーパーに寄り道をする。母親に頼まれた食材を探して店内を歩きながら、リカは約束≠した幼いころのことを思い出す。
ふたりの約束≠ヘ小学校一年の初夏のころ。
そのとき、通学路の途中にある公園の奥で、リカはパンツを下ろされて泣いていた。パンツを下ろされたまるだし姿で、わんわん泣いていた。
べつにヘンシツシャにヘンナコトをされたわけではない。そのころ、いじわるな子が集まって、気の弱い子を通り魔のように突然囲んでパンツを下ろして去っていく、そういう遊び半分のいじめがハルオとリカの学年で流行っていたのだ。
ちいさいころのリカはおとなしくていつもめそめそいじいじしている子だったから、そのちょっとえげつないゲームのかっこうの標的となった。なまじかわいい顔立ちをしていたから、余計加虐心をそそったというのもあっただろう。
しかし、この日までリカは被害にあっていなかった。
となりの家に住み、ほとんど兄妹同然に過ごしているハルオがリカを守っていたからだ。
ところがこの日の放課後、ハルオがふと目を放した隙に、リカがどこかへ連れて行かれてしまった。どうやら、ハルオとリカの英雄とお姫さまのような関係を気に食わなく思う連中が共謀して仕組んだらしかった。すぐさま一味に目星をつけてリカの行方を吐かせると公園に駆けつけたが、ときすでに遅し、そのときにはリカのパンツは足首まですっかり下ろされていたというわけだった。
いつまでも泣き止まないリカのパンツを引き上げると、ハルオはぽんぽんとふたつおさげのちいさな頭に手をのせて、困り顔でなぐさめる。
「ったく。こんなことでなくなよ。あとでみんーなぶっとばしてやっから」
ハルオのそんな約束に、リカはまったく泣き止まなかった。リカにとって仕返しなんてそれほど重要なことではなかったからだ。だってリカが泣いているのは……。
「ううっ、ぐすっ、およめ、さん……」
「え? なに?」
泣き声に混じるリカの言葉を聞き逃して、訊き返す。
「およめさん、ぐすっ、なれなく、ぐすっ、なっちゃった……」
「は? なんでだよ?」
ハルオには話がどうつながるのかさっぱりわからない。
「だって、ぐすっ、パンツ、おろされちゃった、んだもん。ぐすっ」
「なんでそれでおよめさんになれないんだよ」
「ママたちが、いってたもん。ぐすっ。パンツを、おろすのは、ぐすっ、おむこさんのまえで、だけだもん」
「え? だって、フロはいるとき、おまえ、いつもオレのまえでぬいでるじゃんか」
「だって、だって、ハルオちゃ、ぐすっ、およめさん、リカ、なりたかっ、のにっ、ハルオちゃ、うわああああん」
そして、ハルオはいいかげんなやくそく≠する。
「ああっ! もうなくなよ。およめさんにならオレがしてやるから!」
いいかげんとは言っても、ハルオの約束≠キる気持ちにウソがあったわけではない。でもウソではないけど小学校一年生ののんきながきんちょにオンナノコの気持ちなんかわかるはずがない(成長してわかるものでもないが)。ともかくおよめさん≠チてやつになれさえすればそれでいいんだろ? よくわかんないけどオレ、リカのこときらいじゃないし、といった軽い気持ちだった。
しかし、ハルオのそんな考えなしの約束≠焉Aリカには効果絶大だった。
「え? ハルオちゃんの?」
リカは一瞬のうちに泣き止んで、きょとんとハルオを見つめる。
「なんだよ。イヤなのかよ」
ハルオが不機嫌そうに顔をしかめると、
「ううん、ううん! イヤじゃないよ!」
リカは、力いっぱい首をふる。泣いていたときよりももっと真っ赤な顔をして、ぶんぶんと首をふる。そして今度はあわてたようにちいさな小指をずいっとハルオにつきだす。
「じゃ、じゃあ、ゆびきりげんまん!」
「えーっ。めんどくせーよー」
「だめー。するのお! やくそく≠キるのお!」
リカがぷうっと頬をふくらませると、ハルオは、やれやれ、とため息をつく。
「ったくよお。おまえなきむしのくせにオレにだけはつよいんだよなあ。あ、そうだ。じゃあ、おまえもひとつやくそく≠ネ?」
「リカも?」
「うん。おまえ、もっとつよくなれ。あんなやつらになかされるな。そうしたらおよめさんにしてやる」
「うん! わかった!」
そしてふたりは、指きった。
このやくそく=\―約束≠、小学校六年生になったハルオはすっかり忘れている。
わたしはがんばったのに、とリカはいつだってそれが不満だ。
強くなろうとママの通っているボクササイズと護身術の教室に連れて行ってもらって、男の子にだって負けない自信をつけた。ハルオちゃんのためにかわいくなろうとして肌に磨きをかけたし、実は普段からちょっとお化粧もしているし、大人のお姉さんたちのファッション雑誌もいっぱい読んで研究した。男の子が好きなちょっとエッチな雑誌も研究した。もちろん、料理、裁縫、掃除、洗濯も完璧だ。
わたしはがんばった。ものすごくがんばった。
それなのに小学校四年生の春、ハルオちゃんはあっさりとその約束≠やぶった。ううん、まだ約束をやぶったわけではないけど、ハルオちゃんは将来宇宙飛行士になって土星探査船に乗るなんて言い出した。
土星はすごく遠い。往復するのに何十年もかかる。ハルオちゃんは、およめさんにする、と約束≠オたくせにわたしをほったらかしてひとりだけ宇宙に行ってしまう気なのだ。
もちろん、パンツを脱がされたら結婚できない、なんてウソだってもう知っている。イタズラ好きのママたち――というよりはミカコさんがおもしろ半分に言ったことだってわかってる。
誰かのおよめさんになるだけなら、はっきり言って簡単だ。
わたし、すごくもてるし。かわいいって知ってるし。
でもわたしはハルオちゃんのおよめさんになりたい。だからあの約束≠ェうれしかったのに。それなのにハルオちゃんはすっかり忘れて、土星に行こうとしている。
リカはその話をはじめて聞いたとき、呆然としてしまったのだ。呆然としたあと、ぷうっとふくれて、もう、ひどいよお! といつもの調子でハルオをついたら、思いのほか吹っ飛んだ。つきとばすというか、見事なボクシングパンチだった。殴られたハルオも、殴ったリカも唖然とした。さきにわれに返ったのはリカだった。オンナノコらしからぬ自分に、リカは強くショックを受けた。そしてそのショックの矛先をハルオにむけた。だって、わたしがこんなに強くなっちゃったのは誰のせい? そのうえ強くなったのは無駄だった? そう思うと、かーっと頭に血が上ってしまったので、そのままハルオをボコにした。あのときのハルオの泣き出しそうな顔が、いまもリカの脳裏から離れない。オトコノコのハルオとしてもリカに負けたのは相当のショックだったのだ。そのころは身長もハルオが負けてたし。いまでも微妙だし。
それ以来、リカとハルオの仲には亀裂が入ったままだ。
仲直りしたいのは山々なのだけど、ハルオを前にするとつい意地をはって……いや、意地をはるだけならいいのだけど、思わず手や足が出てしまう。
そ、それに……叩きのめしたあとのハルオちゃんの泣き出しそうな顔、かわいくてきゅんってなってしまうし……正直なところ。
と、そんなことをぼんやり考えながらスーパーの店内を歩いていたリカは、飲料コーナーにハルオの後姿を発見した。
偶然とは思わない。もしかするといるんじゃないかな、と実のところリカは期待していた。
リカの心臓がドキドキと高鳴る。
どうしよう、どうしよう。さりげなく話しかけられるかな。さっきのこと、少しはあやまれるかな。
しかし、コーナーでいつまでも真剣な顔をして物色しているハルオの背中を見ていると、むかむかと腹がたってくる。
むかむかむかむかむかむか。
腹がたって、腹がたって、気づいたらまたも後ろから蹴り飛ばしていた。
ふいをつかれたハルオは頭から棚につっこみ、弾けた商品がそこらじゅうに散乱する。
床に散らばる大量の商品にあわててその場から逃げ出しながら、リカは頭を抱える。
ああもう。だめじゃん、わたし……。
☆
「え? マジでマジで? マジであのマンション? 一番上?」
母親の話を聞いて、ハルオは小躍りした。あのマンションに引っ越すことを検討してみると言うのだ。夕方、リカにボロボロにされたのなんか瞬時に忘れてしまった。
「かーちゃん、たまにはいいこと言うじゃん!」
「たまにだとぉ? じゃあ、今度いいことを言うのは一〇〇年後だな」
「うそうそ! かーちゃんはいつもいいことを言う」
「調子いいわねえ。ハルは」
母親――ミカコがあきれたように笑い、ハルオも笑う。
引越しの計画は、唐突なものではない。
ミカコとハルオは母子家庭だ。ハルオが生まれる前に離婚した父親はきっとどこかで生きているけどもはや他人で、そもそも彼は自分に息子がいることさえ知らない。離婚したミカコはハルオが生まれてすぐ、やはりもうすぐ生まれてくる娘とともに母子家庭になる予定の中学生時代からの親友チカ――つまりリカの母親――の家のとなりの借家に越してきた。これがいまミカコとハルオ母子が住んでいる家なのだが、この借家、築すでに四〇年の骨董品なのだ。今日明日突然朽ちたりはしないだろうが、このさきもずっと重力に逆らい続けるほどの根性があるとも思えない。このスリムなミカコさんが歩いただけで床がきしむってどういう了見よ? ケンカ売ってる? とミカコはそのたびけっこうマジに思うのだ。
「一軒家のほうが気は楽だけど、ま、かーちゃんの甲斐性じゃこんなもんだ」
「いいじゃん! いいじゃん! この町で一番たけーんだよ、あのマンション! オレ、すっげーうれしいよ!」
「そうかそうか」
ミカコは満足げにうなづき、ちょっと苦笑する。高いところに上りたがるバカ息子と予備校講師のやっすい給料でマンションの最上階を買っちゃう親バカ。バカの血縁だなこりゃ、と思わないでもないミカコだ。それもまたそれなりにしあわせだけど。
「ところでハル。ペットボトルはちゃんと炭酸のやつを買ってきた?」
マンションの話からふと思い出して、ミカコが訊く。バカ息子の頭のなかでは直結している話題だ。
「あったりまえだろ。あ、でも言っとくけどおれ、かーちゃんの手は借りないからな。自分のロケットは自分で作るからな」
ロケットを作る、といっても人を乗せて大気圏を飛び出すような宇宙ロケットのことではもちろんない。
ジュースのペットボトルで作るペットボトルロケットのことである。
来週末の日曜日、町主催でそのペットボトルロケットの子供大会が開催されるのだが、ハルオは目下、その大会にむけて闘志を燃やしているところなのだった。だって、優勝チームは種子島宇宙センターで本物の宇宙飛行士と会えるツアーに連れて行ってもらえるのだ。宇宙に憧れるハルオが、その目標である宇宙飛行士に直に会えるチャンスを狙わないはずがない。
「なんだよぉ、つまんないなぁ。いいよ、かーちゃんはリカちゃんのを手伝うから」
ミカコは息子のつれない返事に年甲斐もなく不貞腐れる。予備校でのミカコの担当科目は、物理を中心に理系全般。その知識を生かして息子と遊びたかったのだ。
しかしハルオもまた、リカという名前が出てくると、とたんに不機嫌になる。さっきスーパーでロケット用のペットボトルを真剣に選んでいるときにいきなり蹴っ飛ばしてきたヤツ、絶対リカにちがいない。
「リカはでねーよ。出たって知るもんか、あんなやつ」
とげとげしい態度の息子の頭を、ミカコはぽかりと殴りつける。
「いってーなぁ!」
「ハル、あんたリカちゃん大事にしてる? やさしくしなさい、っていつも言ってるよね?」
「なんでオレがやさしくしなきゃなんないんだよ、あんなブス!」
「はぁ? どこがブスよ。あんた目腐ってんの? それともあんたののーみそは糠味噌か?」
リカにどういう目にあわされているか、ハルオは一度として親に告げ口したことはないが、しょせんは小学生。ふたりの仲がうまくいっていないことは親から見れば一目瞭然である。そりゃあ、朝から晩まで家でも学校でも始終あまあまべたべたされたら女親として複雑な気持ちになるかもしれないけど、とびっきりにかわいい女の子、しかもべたぼれしてくれている幼なじみがいるなんて、もはや人生勝ったも同然なのだ。そのことを息子は全然わかってない。
バカ息子は言う。
「あれくらいのやつだったらいくらでもいるよ。となりのクラスのコウサカとか。だいたい人間、見た目とかそーいうことじゃねーだろ?」
それを聞くと、ミカコはふんっと鼻で笑って肩をすくめる。
「見た目が関係ないぃ? ガキがなにナマ言ってんだか。男だって女だって見た目マシなほうがいいに決まってんでしょーが。あんた特殊能力者?」
「なんだよそれ! 差別かよ!」
「慣れない言葉を使うなバカ息子。なにが差別よ。見た目ってのはその人の努力次第よ。芸能人を見ろ。よく観りゃゆかいな顔のやつだってたくさんいるけど、みんな輝いてるでしょーが」
リカちゃん、あの子は元からして極上だけど、さらにあの子を輝かせているのは本人のたゆまぬ努力によるものなのよね。けなげすぎて泣けてくるほどのがんばりやさん。
しかしその涙ぐましい努力が誰のためかといえば……。
ミカコは息子の顔を見てため息をつく。
「ごめんね、リカちゃん。わたしがとなりになんか越してきちゃったせいで……」
「は? かーちゃん、なに言ってんの?」
自分で考えろ、と言うミカコに不満そうな顔をするハルオだが、すぐに、まあいいか、それよりもロケットロケット、とあっさり自分の興味にむかってしまう。このなにかに熱中するとほかが見えなくなってしまう単純さが、リカを余計にいらだたせるところなんだけど。
翌日、さっそくハルオはいつもつるんでいるクラスメート、タクミとユウに引越しのことを報告した。報告した、というより、自慢した。
「マジで? ほんとにあそこかよ!」
「えー、いいなぁ!」
「へへ。いいだろー。だからさ、ロケット、オレんちのマンションで作ろうぜ。この町で一番宇宙に近いところで作れば優勝まちがいなしだぞ」
「ばーか。マンション、来週の日曜までに建たないだろ」
教室の片隅で男子三人もりあがっていると、
「楽しそうになんの話?」
かわいいこモードのリカが話しかけてくる。小首をかしげて髪をゆらし、完璧な美少女笑顔を浮かべている。
「ハルオが引っ越す話だよ」
「あのマンション、いいよねー」
ハルオは無視するが、タクミとユウが答える。瞬間、リカの表情がかたまる。
「え?」
目を見開いた驚きの表情に、タクミとユウは意外そうな顔をする。
「あれ? リカちゃん知らなかったの」
「う、うん。ほんとなの?」
やっと我に返ったリカがそっぽをむいたままのハルオにすがるように訊くが、
「うっせー。お前にはかんけーねーだろ」
ハルオはリカをふりむくこともなく冷たく返す。
「そんな……」
「お前と離れたくて頼んだんだよ。あー、せーせーした」
「も、もう。ハルオちゃん、いじわるなんだから。そこまで言うことないじゃないのお」
リカは冗談めかしてそう言うと、その場を去っていく。
その背中を見送りながら、タクミがとがめるように言う。
「いいのかよ」
「いーんだよ。あんなぶりっこ」
ハルオは吐き捨てるように答える。
「わかんないなあ。昔はあんなに仲良かったのに」
ユウも首をかしげる。三人は一年生のときから同じクラスなので、昔のハルオとリカのことをよく知っているのだ。
「べつに仲良くなんかなかったって。ただ家がとなりだっただけ」
「そうかあ?」
タクミがなおも追求しようとするが、そのとき、教室の出入り口のほうからハルオを呼ぶクラスメートの声が聞こえてきた。誰かが会いに来ているらしい。
行ってみると、となりのクラスのコウサカだった。
「お、おう。なに?」
コウサカは校内でリカと一二を争う美少女だ。ハルオは少し緊張しながら声をかける。
「突然訪ねてきてごめんね。えと、ハルオくん、昨日、ロケットの大会に出るって言ってたよね」
昨日、リカに蹴飛ばされて散乱させてしまったスーパーの商品を、棚に戻すのを手伝ってくれたのが、たまたま買い物に来ていてその場に居合わせたコウサカだった。リカとは対象的におとなしく清楚可憐な黒髪美少女のコウサカと間近に接するのはそのときがはじめてで、なにを話したらいいのかさっぱりわからなかったハルオは、ロケット大会のことをべらべらとしゃべったのだった。
「あ、ああ。で、出るけど?」
あらためて正面から見るコウサカはやっぱりかわいくて、ハルオはどもり気味になってしまう。
「あのね、わたしも友達と出ようと思ってるの。それで、ハルオくんにいろいろ教えてもらえないかなって。ロケットのこと、詳しかったし」
コウサカはそう言うと目元をうっすらと赤らめ、恥ずかしげにうつむいてしまう。
「あの……だめ、かな?」
「い、いいい、いいよいいよ! お、教えてやるよ!」
「ほんと? よかったあ」
てのひらをそっとあわせて、ひかえめだけど心からうれしそうに喜ぶコウサカを前に、ハルオの頬も熱くなる。ハルオはちらっと教室のリカを気にかけるが、リカは何事かを考え込んでいてこちらには気づいていない様子だった。ほっと胸をなでおろしてから、ハルオは憮然とする。って、リカはかんけーねーだろ、オレ。
〇
が〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
その日一日、リカの頭のなかでは諸行無常の鐘の音が響き渡っていた。
お前と離れたくて頼んだんだよ、だよ、だよ、だよ……。
せーせーするよ、するよ、するよ、するよ……。
ひ、引越し?
わ、わたし、そんなに嫌われてたなんて……。
ショックだった。むちゃくちゃショックだった。ハルオが宇宙飛行士になるって言い出したときよりもショックだった。なんだかんだいっても、なにをしても、ハルオは心の底ではリカのことを気にかけてくれているのではないかと内心ひそかに思っていただけに、奈落の底に突き落とされた気分だった。
ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
ハルオちゃんに嫌われてた。
引越しするほどに嫌われてた。
もうだめだ。わたしはもうだめだ。もう生きていけない。
リカの脳裏に、過去ハルオに仕掛けたさまざまな嫌がらせが浮かんでは消える。
口喧嘩でやりこめるのはもちろん、殴る蹴る投げ飛ばすは当たり前。
下駄箱の靴にいたずらをしたし、廊下掃除のときバケツの水をぶっかけたし、授業中のおしゃべりをちくったりといじめまくった。
学級委員長に推薦もした。でも副委員はほかの女子にやらせたくないから自分で立候補して、仕事を押しつけまくった。
ずず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
ああああ、やっぱりだめだあ……。
嫌われて当然だよお……。
でもでも、ハルオちゃんを失ったらわたしこれからさき生きていけないよお……。
どうしよう。どうしよう。
どうしよう! どうしよう! どうしよう!
混乱したリカは、放課後、ハルオを追いかけて事情を聞こうとして、思い余ってまたもやボコにした。
こんな具合に。
「ちょっと。さっきの態度どういうつもりよ。また泣かされたいの?」
(訳。ハルオちゃん、いつもひどいことしてごめんね。わたしほんとはハルオちゃんのこと大好きなんだよ? あのね、それで少し訊きたいことがあるんだけど、いいかな?)
「ああ? ふざっけんな! オレがいつ泣いたんだよ! てめーなんかに泣かされるわけねーだろっ! ぼーりょくブス!」
「はぁ? 誰がブス? 頭おかしいんじゃないの? それより引越しってなによ。わたし聞いてないわよ。ちゃんと報告しなさいよ」
(訳。あのね、本当に引越しするの? わたし、ハルオちゃんとはずっとおとなり同士で大人になるって思ってたの。そしていつかは同じ家に住むようになるって思ってたの。だって約束≠オてくれたよね?)
「リカにはかんけーねーだろ。他人なんだからよ!」
他人、て言われて、ぐさっときた。深いところまで、えぐるように突き刺さった。心って、身体と同じに本当に痛いのだ。思わず涙が出そうになったので、あわててリカはハルオをぼっこぼこにした。
「生意気言ってんじゃないわよっ!」
「うわ、やめろっ! なにすっ――!」
ばちん、べしん、がすっ、どすっ、ごすっ、ごすっ、ごすっ、ごすっ。
(訳。ハルオちゃんひどいよひどいよひどいよ! うわあああああああん!)
帰宅後、リカはハルオの家が引越しを決めた話を母親チカから遅まきながら聞かされたけど、引越しの事実は変わらない。家が古いから引っ越すのだと理由も聞かされたけど、本当の理由なんて言うわけないよ、なんていじけた心で深読みし、夕食もほとんどのどを通らぬまま、毎晩欠かさない就寝前のお肌ケアも忘れてその日は早々に布団にもぐりこんでしまった。
うわああああああああん。ハルオちゃんのばかあああああ。
(05年5月コミティアにて発行したおためし版より)
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